杉の大スギ周辺
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担当 : 産業建設課 / 掲載日 : 2017/07/20
杉の大スギ
3000年の年輪を刻む
日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、最古の昔に須佐之男命(すさのおみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。
この「杉の大杉」は、それぞれ南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二株が根元で合着していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。
南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。
深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。
大杉の苑
美空ひばり遺影碑・歌碑がたたずむ大杉の苑
敗戦直後の混乱期に9歳でデビューした美空ひばりさんは、昭和22年まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしている途中、大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。
そして、一ヶ月半の療養後、町内にある国の特別天然記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるように・・・」と願をかけました。
帰京後、芸名を美空ひばりと改名し、文字通り日本一のスターへの道を歩んだひばりさんは、14歳の時に、当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ、日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝したのです。
その後、昭和歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、平成元年、日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。
大豊町では、美空ひばりさんゆかりの地として、その業績を称え、いつまでも人々の胸に残るようにと、ファンやプロダクション、レコード会社など、数多くの関係者の全面的なご理解とご協力を得て、平成5年5月に杉の大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立しました。
遺影碑
石- 緑色岩(吉野川源流)
- 高さ/2.2m
- 幅/1.8m
- 重さ/8t
- 大きさ/60cm*80cm
- 撮影年月日/昭和27年1月25日(ひばりさん当時14歳)
- 高知市で公演を行い、翌日お礼の参拝に訪れたときのもの
- 神津善行、中村メイコさん夫妻
曲名/「悲しき口笛」 「川のながれのように」 「龍馬残影」
遺影碑の前にあるルーフコイル(3ヶ所)が感知し、それぞれの曲が流れる。
歌碑
石- 純コウレン石(吉野川源流)
- 高さ/2.7m
- 幅/3.7m
- 重さ/上部分3t下部分10t
- 「川のながれのように」 作詞者秋元康先生直筆
- 「川のながれのように」 作曲者見岳章先生直筆
大杉観光センター
観光&道路情報もひばりグッズも満載
国道32号沿い、日本一の大杉と美空ひばり遺影碑歌碑への登り口に、道の駅「大杉」があります。ここは県内の観光&道路情報の発信地。知りたいことを親切に教えてくれます。また、ひばり記念グッズも発売しているので、ひばりファンならずとも見逃せません。ここでは食事もでき、特に立川そばは大人気です。
とまレール大杉
大豊町つどいの広場「とまレール大杉」は、平成16年1月に不審火により焼失したJR大杉駅施設を再建したものです。再建は住民をはじめ、役場、教育委員会、大杉中学校、高知大学などが協力しながら行いました。
特に大杉中学校では、今後、通学などでも自分たちが利用する駅の「再建に参加したい」という思いが強く、設計士が中学校へ出向き、中学生の意見を採り入れながら基本設計が行われました。
中学生からは地域のシンボルである大杉をイメージし、杉をふんだんに使用した駅にしてほしいという意見が出され、中学生自らが木材の搬出、部材への柿渋の塗布、カウンターやベンチ、看板の作成などを行いました。また、材料提供や加工などは地元が協力し、大杉中学校を中心に地域が一体となった、木を活かした地域のシンボル的な駅施設になっています。
高知県木の文化賞受賞
(大豊町つどいの広場「とまレール大杉」)
大杉中学生の意見を取り入れるなど、地域の人たちの強い参加意識によるシンボル的な木造建築物となっており、木の文化の推進、情報発信に大いに貢献があった施設として表彰されました。
担当課
産業建設課