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岩原・永渕神楽(無形)

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担当 : 教育委員会 / 掲載日 : 2012/03/14


岩原・永渕神楽(無形)

岩原神楽の起源については資料が乏しいのではっきりしないが、「磐原神社の創祀沿革」によると、天慶(938〜947)天暦の頃(947〜957)岡崎権六郎重良が伊勢より勧請し、奥荒に社殿を建立し、伊勢大明神として祀ったのがはじまりと伝えられている。
 のち亨徳2年(1452)大洪水のため三宝山に社地を拓き、翌3年遷宮に奉納した人達の子孫が、今尚「神御子」として直接神に仕える制度が残されているところから、神楽はこの時代より始まったものと思われる。
また、永渕神楽についてはその昔、戦乱に敗れた則倉佐仲というものが京都から讃岐・阿波を 経てこの地に入り定住して伝えたとの説がある。この神楽も、前記のとおり岩原神楽と同種同系のものであるので両者を区別せずこれを一括して岩原永渕神楽と称する。
その内容は神祭に?屋を立て、神主を招いて祭りをし、酒宴を開いて「散華」称する六根清浄の行をおこない12月の月歌をうたって、時には乱舞し、そのあとその家の庭先で神楽を舞う。こは県下的にも他に類例を見ない貴重なものである。楽器は大太鼓と鉦拍子である。
その舞での採物(手に持つもの)によって、幣の舞、双刃の舞、二天の舞、弓の舞、長刃の舞、扁芸の舞、魚夫の舞、舟の舞、鍬の舞、宇賀の舞、宝の舞、四天の舞、猩々の舞、獅子の舞等々の内容的にも豊富であるが、すでに忘失されたものもある。 神楽を?屋の庭先で舞い「散華」を行い、手面をかぶり、白装束で芸術的な所作を展開するこの神楽には芸能以前の古い名残が少なくない。


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