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集いのアルバム(気軽に画像投稿!)

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タイトル 阿波北街道も龍馬は歩いた!
投稿日 2009/08/21 01:33 投稿者 r.o.m.p.
内容  先般より土佐北街道について投稿してまいりましたが、国道32号の前身である阿波北街道も龍馬が歩いていたことが推察されます。
 文久二年二月下旬、龍馬と道案内らの三人は、徳島県美馬市美馬町坊僧の奉行邸から、土佐への帰路につくのですが、出立の数日前に降雪があったことから、帰りのルートは限定されます。

 撫養街道から伊予街道を歩いたことは誰でも想像がつくのですが、白地から南のルートは、吉野川の東方と西方の主要道は標高千メートルを超える峠を越える必要があるため、それらの道を選ぶはずはありません。
 考えられるルートはただ一つ、吉野川西側を南下する国道32号の前身の街道です。

 この街道は三好市では土佐街道と呼ばれ、大豊町杉地区では「大名道」と呼称されています。町内では、大久保番所跡北方から大田口までが、所々古道が残っているので、来年の大河ドラマ放送に合わせ、土佐北街道と共にウォーキングイベントを開催されては如何でしょう。

 出発池点は、林道下名・大田口線の境谷の600mほど東方にある地下配水槽(?)の東。ここから街道に連結される歩道が下りており、大久保番所跡前を通過します。
 大砂子集落の前半部の街道は廃道化していますが、その北側の迂回コースを辿り、大砂子番所跡東方に下り立ちます。番所のすぐ南も廃道化していますが、ここも車道を迂回することにより、集落の端の民家側から古道に入ることができます。

 柳野の金毘羅神社の鳥居には、寛永通宝の賽銭が置かれたままになっていて、驚かされます。
 他には、永淵と桃原の境界の井出谷川から桃原集落までと、豊楽寺から大田口の商店街までも歩道が残っています。
 石堂峠から西方は、古道はとびとびにしか残ってないので、ウォーキングには適しません。

 かつて愛媛県の旧野村町は脱藩道によって町おこしを成し遂げましたが、ここは一つ大豊町も「龍馬街道」で地域おこしをしてみては如何でしょう。当方は現代龍馬学会員ですから、県立龍馬記念館の協力を取り付けることもできます。当会の写真展については協力を約束して戴いているので、大豊町でも写真展を開催すれば記念館の友の会会員らも訪れ、全国から龍馬ファンを町に呼び込むことができるのです。

 一番目の画像は大砂子番所跡、二番目は寛永通宝が置かれている金毘羅神社の鳥居、三番目は井出谷川西方の古道。

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