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集いのアルバム(気軽に画像投稿!)

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タイトル 整備されなかった土佐北街道の一部
投稿日 2009/08/06 17:22 投稿者 r.o.m.p.
内容  以前、土佐北街道の再整備についての投稿を致しましたが、その後町の観光部署に問い合わせると、同街道の再整備予算案を県に提出予定、ということでしたので、安心致しました。

 前回も述べたように、土佐北街道は龍馬が三回歩いた街道故、脱藩道よりも重視されるべき道なのですが、下名の街道の一部に、整備が放棄されている区間があります。それは川奥橋の北側から駕籠立休憩所の北までの区間です。

 本来の街道筋は、川奥橋東の沢の右岸(西岸)を遡り、北の尾根を斜めに横断し、山腹を走っていました。が、県道5号ができて以降、沢沿いの街道は廃道となりました。しかしそれでも、北の尾根を越えて以降の道は現在でも藪化せずに残っているのです。

 川奥橋から県道5号を北に進み、高速の高架を抜けると、南西に折り返すように上るコンクリート車道が分かれているのですが、これを20mほど辿れば左手の山際に、うっすらとした踏み跡が確認できます。これが前述の山腹を走る横道に繋がっているのです。

 但し、この道は北方にある斜面の擁壁上を越えると消えてしまいます。そこから十数メートルの区間は、街道は消滅しているのですが、適当に斜面を下り、北の涸れ沢に下ると、再び擁壁沿いにコンクリート歩道となって現れるのです。

 この道はやがて昔のままの古道に変わり、樹林帯を抜け出すと、駕籠立休憩所跡の広場に出ます。ここは参勤交代時、列を立て直した所ですから、史跡としての価値もあるのではないでしょうか。

 ここからは少し作業車道を下った後、その上を並行するやや、やぶっぽい街道に分け入ります。
 この道も植林帯の平地に下り立つと不明瞭になるのですが、西下の作業車道沿いを適当に進んで行けば、すぐ明確な街道に出て、それを下ると河又橋の向かいに出るのです。そこからは道標が整備されているので、県境の笹ヶ峰越えまで、確実に行けます。

 この区間は一部、消滅していることもあり、整備が放棄されているのでしょうが、その道のない急傾斜の箇所には、丸木階段を設置することで、街道を繋ぐことができるのです。

 是非、町の活性化のためにも、その区間の整備も考えて戴きたく思います。

 一枚目の画像は、コンクリート車道沿いの上り口。三枚目の画像は駕籠立休憩所跡。

 今年11月下旬頃、街道ガイド書出版と共に県庁や徳島県の自治体施設で写真展を開催する可能性があるのですが、大豊町内の施設でも開催できれば、更に町内外からの注目度が高まるものと思われます。

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